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No.23/2009 |
■シリウス・スター号の試練 |
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シリウス・スター号の試練
シリウス・スター号は、昨年ソマリア沖で海賊に捕らえられた。57日間、海賊に拘束されていた乗組員の話をマイク・バーガーが聞いた。
VLCCのシリウス・スター号がケニヤ沖で捕えられたとき、25人の乗組員は、海賊の捕虜となった。ITF加盟組織のノーチラス(英国船舶職員組合)の組合員ジェームス・グラディーも、その一人だった。
この船には2人の英国人船員が乗り組んでいたが、グラディーは2等機関士で、もう1人はピーター・フレンチ機関長だった。2008年11月、ケニヤ沖でシリウス・スター号が海賊に捕らわれたときに、彼らは捕虜となった。
乗組員には、他にポーランド人、サウジアラビア人、フィリピン人などがいたが、身代金の交渉中は船内に拘束されていた。ヴェラ・インターナショナル・マリン社が所有する載貨重量318,000トンのタンカーには、約1億ドルに相当する220万バレルの石油が積載されており、海賊にとっては格好の獲物だった。
「あれが始まったのは11月15日だった。午前8時55分頃に海賊が船内に侵入し、午前9時12分にブリッジから停船命令が入った」とジェームスは記憶をたどった。「全く予期していないわけではなかった。彼らが乗船してくる前に、スピードボートが目撃されていた。2海里ほどの距離があり、その時は大洋の中の黒い点にすぎなかった」
意外だったのは、海賊が侵入してきた場所だった。モンバサの南東約450海里、海賊の多発地帯とされるソマリア沖から遥かに離れた海上だった。
「初めのうちは、次に何が来るのかとびくびくしていた」とジェームスは語る。「我々は、全員が一室に押し込められるのではないかと想像していた」
ところが、そうはならなかったので安心した。すると、海賊たちが忙しく活動し始めたのだ。「彼らは各部屋を回って、携帯電話や現金などを盗み始めた。これを何回も繰り返し、私の部屋へも5回もやってきた」とジェームスは言う。「大体の物は隠しておいたが、現金約100ポンド、その他の国の通貨、財布、腕時計がなくなった」
機関室への侵入回数は少なかった。「勝手に機関室に入るのは危険だと警告しておいたので、機関室に降りてくるときは怖がっているように見えた。機関室に降りてきたのは4回だった。コントロールルームの引き出しを探し回って、携帯電話や現金などを持って行った。工具類は残して行った。携帯電話を持っていく時は、シムカードを返してよこした。クレジットカードには関心がないようだった」
その後、シリウス・スター号は500海里離れた海賊の錨泊地に移動した。「ソマリア沖に着いてから、外に出るのを許されたのは5分程度だったので、彼らの仲間が何人乗船していたかは分からない」とジェームズ。「数は確認できなかったが、私の推定では20〜25人が交替で船内にいた。4日ぐらいで交替していたようだ。私には小規模な組織に見えた。零細組織で、陸上に親分はいないようだった。我々が目にしたのが全部のようだった。最後の2日間は、33人が船内に残っていた。私は煙突から彼らの写真を撮っておいた」
試錬の57日の間に、海賊と乗組員の関係に変化はあったが、海賊の乗組員に対する態度は一般的に良好だった、とジェームスは感じている。「ほとんど支障なく通常の業務を行っていた。他の乗組員も各自、仕事をしていた。その方が自分の置かれている状況を忘れることができた」
ジェームスの観察したところでは、ブリッジの乗組員の方が強いストレスにさらされていたようだった。「海賊たちは常にブリッジにいた。睡眠も食事もブリッジでとっていた。ブリッジの乗組員は非常に不愉快な様子で、ストレスに悩まされているのがよく分かった」
「海賊たちは、いつもカラシニコフ(ロシア製軽機関銃)を肩にかけて行動していた。ときどき銃を甲板に落とすことがあった。我々が最も恐れていたのは、誰かが偶発事故で撃たれはしないかということだった。実際、海賊の一人は偶発事故で撃たれた。何があったのかは分からないが、機関銃の連射音が聞こえた。彼らは腕を負傷した仲間を、チーフメート(一航士)のところへ運んできた。腕には弾丸が入ったままだった」
海賊たちは、ほとんど常時、ミラまたはカットと呼ばれる薬(アラビアチャノキの葉)を噛んでいた。ジェームスによれば、彼らはこの薬の作用で陶然となり、おとなしくなる。「ミラを十分にとっている時は優しかったが、薬が切れた時はイライラしているようだった」
一番危険だったのは、「交替時間が来て、5人の新メンバーが乗船してきた時だ。その時、彼らは船尾から攻撃を受けたと思ったようだった。彼らが神経質な反応をしたのは、船尾方向に点滅する光を発見したためだった。実際には、その光線は、15海里ほど離れた所にある灯台の光だった」
「愚かな海賊たち」とジェームスは続ける。「船長は彼らに海図を見せて、あれは灯台の光であると説明した。その夜、私は当直機関士だった。ブリッジから呼ばれて上がっていくと、海賊たちは興奮し、イライラしていた。彼らは、我々が常に何かを企んでいると考えており、説得するのに時間がかかった。大いに危険を感じた一夜だった。改めて彼らが海賊であり、船を支配していることを実感した」
乗組員は家族のことを心配していた。「家族には実情が分からないので、想像だけが広がって行く」乗組員は時々、ブリッジから家族に電話をかけることを許された。「我々が家族に伝えたのは、まず、我々は無事であり、差し迫った危険はない、ということだ。海賊の目的は船であり、我々はいわば邪魔者だったのだ」とジェームスは言う。
「彼らは自分たちの食糧を食べていたが、時間の経過とともに、我々の食糧を食べるようになった。けれども、我々の食糧や水が不足することはなかった。最後の数週間は、居住区画前方のデッキで魚釣りをすることが認められた。そのおかげで、食糧を節約できた」
乗組員の試練が本当に終わったのは、身代金200万ドルが空中から投下され、海賊の手に渡った時だった。「交渉が進んでいることは知っていたが、交渉に参加したことはない。ヴェラ社側が乗組員の安全に十分配慮してくれたことが、我々にも分かった。1月9日に身代金が投下される前に、我々は全員デッキに出て、10フィートの間隔で並んだ。これは飛行機から人数を数えて、まず我々全員が無事でいることを確認するためだった。飛行機が2度目に上空を通過した時、身代金の半分がパラシュートに取り付けられて海中に投下された。その後、午後2時頃、飛行機は再び戻ってきて、残りの身代金を投下して行った」
「海賊の半数は16時30分頃出て行った。その時、ボート1隻が転覆事故を起こし、4人が行方不明になったと聞いた。残りの海賊たちは1月10日に下船して行った」
船員は常に冷静を保とうとする傾向があるが、ピーター・フレンチ機関長がサンデー・メイル紙のインタービューの中で、このことをうまく表現している、とジェームスは思った。「海上では厄介なことが起こるものだが、それをさばくのが船乗りなのだ」
とはいえ、ヴェラ社は心的外傷後ストレス障害(PTSD)の可能性について、乗組員に助言するために職業病専門医を手配していた。
「医師によれば、この症状は何か月も後で発症する場合がある」とジェームスは語る。「今のところ、欧州船員5人は、船主から個人所有物や所持金などについて補償を受けたので満足している」
ジェームスは、海賊を抑止するための海軍艦艇の増派を支持すると言う。しかし、シリウス・スター号の乗組員は、海賊に拘束されている間に起きた出来事に関して、激しい怒りを表明している。「ドイツ海軍艦艇が海賊を捕えたが、BBCによれば、ドイツ政府の命令によって、海賊を武装解除させた後にソマリアまで送り届けたというのだ。せっかく捕えた海賊を、武装解除しただけで送り返したという話を聞いて、我々は大きな苛立ちを感じた。そんなに軽く扱えば、新しい銃を抱えて、また戻ってくるだけではないか」 |
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●この記事は、ノーチラスの機関紙の記事を編集したものである。 |
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危険海域
海賊行為は増しているか?
国際海事局海賊通報センター(IMB-PRC)によれば、海上のハイジャック件数は史上最大に達している。IMB-PRCが1991年度に集計を開始して以来、2008年の発生件数は最大となっている。
他に変わったことは?
海賊は常に存在しているが、アデン湾の海賊事件は大幅に増加しており、111件がこの海域で発生している。2007年から200%の増加だ。あらゆる船種がターゲットになっている。海賊の武装も強化されており、乗組員を攻撃し、負傷させることも想定しているようだ。
ITFの取り組みは?
ITF協約の適用を受けている船員は、危険海域または戦争海域に入った場合に特別手当が支給される。また、乗組員は、危険海域に入る前に下船を選択することもできる。乗組員が危険海域に入ることを選択した場合は、船舶が危険海域にいる間、基本給の100%に相当するボーナスが支給される。さらに、死亡または身体障害の補償は2倍となる。
昨年のIBF(国際交渉協議)において、ITFと船主側は、アデン湾全域を危険海域とすることに合意した。
ITFは国際海事機関(IMO)の常任メンバーとして、海賊問題の解決にむけて、海運業界と共にロビー活動を継続している。 |
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●援助とアドバイスが必要な場合は、へ。
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