2010年01〜03月 第38号 |
■紹介 |
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レバノン客室乗務員組合の紹介
ジョージ・ターキー「小さい組合でも、できることはたくさんある」
レバノン客室乗務員組合について
レバノンの客室乗務員は、かつてはパイロット労組に入っていた。1970年に、客室乗務員のための役員を選出したことから、同労組内に一定の自治を勝ち取ることができた。1990年までに、客室乗務員として独立した組合を確立し、独自の役員会を選出した。
安全に関わる仕事をしている客室乗務員は、常に以下の事項を念頭に置いている。
1.客室乗務員としての資格保有と体調管理
2.職務と飛行時間の制限
3.労働条件の改善
レバノンでは、客室乗務員になるには、飛行に適しているという資格を取得しなければならない。したがって、上記の他に重視すべき点は、資格に関する法律である。これは、同国の民間航空当局によって監視されている。 |
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我々の挑戦
客室乗務員がパイロット労組に入っていたとき、我々は、レバノンが内戦下(1975〜1990年)にあって空港がしばしば閉鎖されることがあっても、中東航空を維持することができた。1975年から1976年まで、労組は、業務を定期航空会社から外国のチャーター便航空会社に移管することを提案した。使用者は、この労組の提案に同意し、これにより空港閉鎖にも拘わらず、5,000人の従業員が雇用を維持し、賃金を現金で支払うことができた。この計画によって航空会社も廃業せずに済んだ。
我々はまた、2001年の航空会社のリストラ計画の影響とも闘わなければならなかった。その計画の1つに、客室乗務員の退職年齢を60歳から50歳に引き下げるという提案があった。労組は強硬に、これに反対した。長い交渉とITFの支援のおかげで、退職年齢引き下げ案は凍結され、2009年末までに再交渉することで折り合った。
労使は、客室乗務員の退職年齢を現在のまま恒久的に据え置くことで合意しつつある。 |
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我々の功績
最も大きな功績は、おそらく客室乗務員労組として離陸できたことである。レバノン内戦中に独立した労組の設立にこぎつけられた。
最近では、組合員に良い手当を確保するために取り組んできたことだ。レバノンの労働者は、退職後、医療保険の保障が受けられなくなる。そのため、労組は組合員のために、退職後の医療保険を確立した。また組合員が退職後に年金を受給できるように、ファンドを設立した(レバノンでは国民年金制度がない)。
レバノンでは、客室乗務員が体調不良で乗務できなくなったときなど、資格が取り消された場合に備え、「スペシャリストのための資格喪失保険」に加入することができる。労組は、組合員の資格喪失保険契約を民間保険会社から組合に移した。我々の知る限り、この種の保険は世界でも類がない。
最後になるが、重要なこととして、我々は「Lebanese Wings」という雑誌を発行している。ベイルート国際空港および全ての中東航空会社の事務所で、客室乗務員や航空会社の職員全員に配布している。
このようにして、様々なニュースや達成したことを組合員に伝えている。 |
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我々の労組とITF
我々の労組は、以前から国際活動に参加している。
労組設立当初は、客室乗務員の組織化や航空会社の使用者との対応に苦労した。我々は、当初、戦術を立案する際、フランス、デンマーク、ドイツ、スイスなど、主に欧州の労組から得た情報を参考にした。従って、当初から、国際的な情報交換は、我々にとって重要なことだった。
国際客室乗務員連合(ICCA)でも重要な役割を果たした。例えば、1999年にレバノンのベイルートで、ICCA会議を主催した。ICCAはITFに賛同して、2000年に解散した。
それ以来、ITFとは緊密に協力している。ITFのアンマン事務所開設にも協力した。地域担当のビラル・マルカウィと、定期的に活動している。2005年にはオブザーバーとして、欧州運輸労連(ETF)に参加した。また、2008年には、ヨルダンの民間航空及び観光労組と、労働条件や連帯についての情報交換を含む緊密な協力を促進する協定を締結した。
我々が活動するときの信条は、「最小労組であっても、できることはたくさんある」ということだ。 |
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ジョージ・ターキーは、LCCAの国際広報コーディネーター |
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要約
レバノン客室乗務員組合
本部:ベイルート
設立:1990年
書記長:ガサン・アシ
組合員数:275
女性組合員の比率:60% |
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