国際運輸労連-ITF
メニュー トランスポート インターナショナル バックナンバー
HOME
ITFについて
ITF−所在地
リンク
ITFニュースオンライン
>> 最新号はこちら
その他ITF情報
>> 最新号はこちら
 
国際運輸労連(ITF)機関誌
トランスポート
インターナショナル >>
最新号はこちら
シーフェアラーズ
ブルテン >>
最新号はこちら
 
ITFニュースオンラインバックナンバー
ITFニュースオンラインバックナンバー
東京事務所
〒108-0023
東京都港区芝浦3-2-22
田町交通ビル3階
地図はこちら
TEL:03-3798-2770
FAX:03-3769-4471
mail:mail@itftokyo.org
>> 詳しくはこちら

グローバルユニオン

2008年1〜3月 第30号
■立ち上がるイランの労働者
 
立ち上がるイランの労働者

労働運動を立ち上げるため、イランの労働者は組織的かつ暴力的な抑圧に抵抗している

現体制を批判したとの罪でイランのバス労組の指導者、マンスール・オサンルーが不当にも6年の実刑判決を受けてから半年が過ぎた今、イランでは緊張が高まっている。

アフマディネジャード政権に核を放棄するよう求める西欧諸国からの圧力は、一段と高まっている。これに対するイラン・イスラム共和国の対応は、西側の友人、あるいはイランの敵と見なされる「裏切り者」に、さらなる報復を加えると脅しをかけることだ。

テヘランバス労組のように抑圧されている労働組合にとって、この状況はさらに厳しさを増す。最近出版されたアンドレアス・マリムとショーラ・エスマイリアンの共著「瀬戸際のイラン」は、孤立主義を容認し、服従的労働を宗教的義務と見なし、労働者を厳格すぎる管理の対象としている国家イランの姿を浮き彫りにしている。

同著の抜粋から、テヘランバス労組と同様に、あらゆる産業の労働者が基本的人権と労働権を確立するために、いかに過酷な闘争を展開しているかが理解できる。

しかし、テヘランバス労組の組合員と同様、労働者は闘い続ける覚悟でいる。
▲ ページトップへ
労働権を求める集会

2004年1月、うだるような暑さの中、南部ケルマーン州のカートンナバート村近くの砂漠では、2,500人の建設労働者が精銅工場の建設に従事していた。この建設計画は、イランの国営精銅会社と中国企業の合弁のもとに進められていた。工場の完成は間近に迫り、労働者は工場の稼動と同時に正規雇用に転換されると会社から約束されていた。
1月末、銅製造の第一工程がまさにスタートしようとしていたその時、250人を除く残りの全員が解雇され、工場は閉鎖されてしまった。労働者とその家族は工場を封鎖し、その前で野宿を開始した。彼らの要求は、会社に約束を守らせ、未払いになっている賃金を支払わせることだった。警察が立ちはだかったが、労働者はひるまなかった。
8日間の労働者のストと座り込みの後、1月24日には、ケルマーン州治安警察が州都ケルマーンからカートンナバートへ送り込まれ、工場の上空をヘリコプターで旋回した。特別部隊は、群集めがけて一斉に実弾を発射した。死者は4名と発表されたが、非公式の情報によれば、7名から15名が死亡し、300人が負傷、少なくとも80名が逮捕された。後に釈放された彼らの身体には、投獄中の拷問の生々しい傷跡が残されていた。治安部隊と労働者の衝突は、カートンナバートで数日間続いた。
▲ ページトップへ
新しい運動の誕生

カートンナバートの大虐殺の噂はイラン中に広まり、これが後に新しい労働運動へと発展していくことになった。
労働者の組織化を禁ずる法律の網の目をかいくぐる様々な方法がこの運動から編み出された。山登りもその一例だ。作業場やカフェでも国や職場の監視官が目を光らせていたが、彼らの監視の目も、テヘランなどの都市を取り囲む丘や山々までは届かなかった。最も、岸壁や山肌にはイスラム教のスローガンが刻み込まれてはいたが。ハイキングはイランでとても人気があり、ハイキングクラブの結成は大部分の地域で違法ではない。労働者は、そこに目をつけた。「正直言って、それほど山登りをしたいわけではないが、職場以外の場所で人に会おうと思えば、それしか方法がない。話をするのに適切な場所までくると、腰を下ろして一日中議論する」とテヘラン郊外カラージのハイキングクラブ議長は言う。
カートンナバートの大虐殺からちょうど一年後、イラン全土に結成された多数のハイキングクラブが丘に登り、旗を掲げて大虐殺の犠牲者を追悼した。
社交目的のために市民が基金を設立することはイランでも違法ではないが、政府の認可を得る必要があるため、イスラムの名前を基金につけることが多い。労働者が集まって、例えば「病人や障害者のためのイマム・フセイン基金」などの基金を設立するのもそのためだ。
このような労働者の団体は長年存在してきたが、2004年以降、政府転覆を喫緊の目標に掲げる団体が急速に広がっていった。
これに似ているが、より大胆な労働者の組織が秘密の労働者委員会だ。ハイキングクラブや基金団体が進化し、職場で密かに活動する労働者委員会が増えていったが、これらは情報を決して漏らさないという一部の労働者間の相互信頼に基づいていた。
南アジアや東欧に様々なプラスティック製品を輸出するトレディー・エーラン社で働くアラッシュに話を聞いた。2003年、アラッシュの工場で大規模な人員整理が行われた。その時のことを、アラッシュはこう振り返る。
「毎日毎日、それまでの倍以上の製品を作らなければならなかった。1,000人以上の工員が解雇されたためだ。そこで、労働者委員会を立ち上げた。それまでも、お互いを助けるための基金を積み立てていたが、労働者への圧力が大きくなるにつれ、それでは不十分だという結論に達した。2004年初頭のことだった。始めは友人同士の結束の固い寄合だったが、メンバーはどんどん増えていった。
委員会に参加する労働者がそうではない労働者から差別されるようなことがあってはならない。経営者も委員会の存在には気づいている。工場でビラ配りをしているからだ。誰が委員会のメンバーかを経営者が察知すれば、その者は即座に解雇される。慎重に行動する必要がある。会社に協力する者もいた。彼らは会社に魂を売り渡しながら、毎日モスクへ祈りに行く。彼らが誰なのか、我々には分かっている。彼らはボーナスを貰い、工場監督は彼らに親しげに接している。彼らが委員会のメンバーを知っている以上に、誰が会社に協力しているのかを我々は把握している」
そこで、労働者委員会は非常に直接的な一連の行動に出たとアラッシュは続ける。
「毎日4時間の残業を強いられているが、残業手当についての規定はなく、その時々で支払われる額も異なっている。また、残業手当と年金は連動していない。そこで、労働委員会は役員宛ての書簡という形で残業手当を通常の賃金に含めるよう要求した。労働者の一人がこの書簡を携え、役員室へ向かったが、その場で解雇された。そこで、工員たちは直ちに生産を停止した。100人の労働者が役員室に詰めかけ、解雇された仲間の復職を要求した。すると、経営側が譲歩し、数日後、仲間は復職した」
▲ ページトップへ
無視された女性たち

サケズでは、自宅や小さな工場で働く女性裁縫労働者が自分たちの団体を立ち上げようとしている。責任者が女性たちを地下室に鍵をかけて閉じ込めて早朝から働かせ、夜遅く帰宅するまで解放してくれない工場すらある、と裁縫労働者のアバイドは話す。
女性裁縫労働者たちは労働省に団体設立の許可を求めたが、労働省は彼女らを労働者とは見なさず、ショラ・エ・イスラミ(イスラム協議会)を結成することすら許可しなかった。しかし、私たちはあきらめない、とアバイドは言う。
「お互いに会って話をする裁縫労働者の数は、いまや約100人に増えた。私たちは、話をしたいだけ。そのために適当な場所を確保したい。男性に集会を阻止されたり、秘密警察に嫌がらせをされたりする謂れはない。私たちはこの闘いを受けて立つ。必ず団体を立ち上げる。この要求はすでにテヘランの裁判所へも持ち込んでいる。それでもダメなら次は国際労働機関(ILO)に提訴する」
2004年初頭からの2年間で、ハイキングクラブ、基金、労働者委員会や他の同様の取り組みにより、ますます多くの地域で職場が活気づいた。これは、ストライキが急増したことに最も如実に現れている。
イラン・イスラム共和国が編み出した権力のバランスにより、労働者階級の地位は非常に低い。全人口の約4割が国際統計による貧困線以下の生活を強いられており、イラン中央銀行の調べでも、イラン政府が国内統計用に設けた貧困線を下回る生活をしている人々は国民の半数に及ぶ。
イランのこの現実は、テヘラン北部と南部の違いに最も顕著に現れている。テヘラン北部では、エルボルツ山脈の斜面にあるにぎやかな市場や木々の生い茂る公園、荘厳な邸宅の間を快適な服装の男女が行きかう。雪を頂く山々から湧き出る水は輝き澄んでいる。
そこから数マイル南へ下ると、狭く曲がりくねった路地のあばら家に何百万人もが身を寄せ合って生活している。人々の服も家も何もかもが真っ黒で、空気は汚染され、煙で息がつまる。さらにテヘラン南部まで行くと、水は汚れて粘り気を帯び、ごみで固まっている。
失業率の高低に関係なく、イラン・イスラム共和国のこの階級構造は、いつの時代も変わることのない「余りにも厳しい職場の管理」を基礎としている。巨万の富を蓄積するイスラム教指導者の体制下では、労働組合を抑圧し、団体協約を阻止し、ストライキを根絶やしにし、イランを自由で独立した労働運動のない国にしておくことが不可欠なのだ。そのため、現政権は職場に1930年代のドイツ労働戦線やファシスト政権流の特別な縛りをかけている。
イランでは、「神への奉仕において、労働はジハード(聖戦)である」と説くハディース(イスラム教の言行録)に従うことが強要され、「労働組合は帝国主義の延長」というレッテルを貼られている。イラン・イスラム共和国の労働に対する考えは、「服従的労働は精神的営みであり、その報酬は物理的な境界の外で与えられるべき」というものだ。
▲ ページトップへ
イスラム協議会

あらゆる職場が、ショラ・エ・イスラミ(イスラム協議会)設置の権利を有している。イランの労働法では、「労働者や使用者の法的権利及び利益を保護するため」、イスラム協議会を設置できることになっている。協議会の主な使命は、イスラムの文化を広め、イスラム革命の功績を擁護することである。協議会はまた、いかなる「騒動や不愉快な出来事」についても、報告する義務を負っている。
唯一合法的な労働者のための組織はイスラム協議会であるため、労働者も時に、協議会を利用して要求を行うことがあるが、協議会は厳しく管理されている。
テヘランの溶接工、シーナは言う。「以前は、工場でイスラム協議会の代表をしていた。私は抗議の声を上げ、慎重に闘争を進めた末、80人の臨時契約労働者を終身雇用に転換させることに成功したが、その後、労働省によって排斥された」
労働省が発するイスラム協議会選挙の要請には、信仰の弱い者や非イスラム的な思想の持ち主は候補者になれないことが規定されている。新たな選挙を求めるポスターが工場に貼り出されたが、シーナの名前はブラックリストの中に明示されていた。
「労働者自身が協議会の代表を選出できることになっているが、選挙結果が公表されるや否や、労働省の役人がやってきて、選出された代表に尋問を開始する。
『コーランのこことあそこの一節を暗唱しなさい。どのくらい熱心に祈っているのか?ラマダンについて知っていることを述べよ』などといったテストが行われ、不合格となった者は却下される。このようなやり方で、労働省は労働者の「代表」を管理し、代表が労働者の利益のために闘うことを阻止している。工場の中で、イスラム協議会は労働者のために何一つしていない。それどころか、労働者の権利を剥奪する経営者の手助けをしている」
イランでは、あらゆる労働組合が非合法とされており、ストは違法だ。重要な大工場や不穏な工場には、軍隊がパトロールのために配置され、大抵の工場の入り口には武装した警備員が立っている。
1983年、時の司法長官、ムサヴ・アルダビリがイラン・イスラム共和国における生産活動のヒエラルキーについて、こう述べた。「経営者は頭脳、イスラム協議会は目、その他は手にあたる」
「手」とされる労働者が自ら動き出さなければ、現状は変わらないだろう。
▲ ページトップへ
この記事は「瀬戸際のイラン:立ち上がる労働者と戦争の脅威(アンドレアス・マリム、ショーラ・エスマイリアン共著、プルート出版(2007))」からの抜粋
アンドレアス・マリムはスウェーデンのウィークリー紙「アルベタレン(労働者)」の編集者。ショーラ・エスマイリアンも「アルベタレン」の編集者で、スウェーデン在住イラン人ジャーナリストにして活動家
「瀬戸際のイラン」の詳細は、www.plutobooks.comを参照のこと
マンスール・オサンルーなどの拘留された組合活動家の自由を求めるITFキャンペーンの詳細については、
www.freeosanloo.org を参照のこと
労働者、30年の闘い

1978年:一連のストライキがゼネストとして頂点に達し、数百万人が君主制に反対するデモに参加

1979年:国王の国外退去により、ホメイニ師が帰国。イスラム共和国が成立。当初は労働者を代表する職場評議会(ショーラ)が権利を確保し、影響力をもっていた。

1980年:イラク軍のイラン侵攻。ストは禁じられ、ショーラが管理下に置かれる。

1982−3年:ショーラと反体制運動が暴力的抑圧を受ける。イスラム協議会(ショラ・エ・イスラミ)が唯一の職場組織となる。治安当局が労働者に恐怖心を植え付ける。

1988年:イラン・イラク戦争終結。数千人もの左派の政治犯が、エヴィン刑務所で処刑される。

1997年:ハタミ師の大統領就任により、一定の政治的議論は許されるようになるが、労働組合権面の改善はなし。

1999年:学生蜂起が残忍に制圧される。

2002年以降:ブッシュ大統領がイランおよびイラクを「悪の枢軸」と呼んだことから、西欧諸国との関係が急速に悪化。2003年にイラクが侵攻される。

2004年:カートンナバート精銅所の大虐殺起きる。教職員のスト。メーデーのデモ。労働運動が新たに勢いを増す。

2005年:バス労働者数千人が基本権を求めてスト実施。指導者が大量に拘留・投獄される。マンスール・オサンルーは2006年8月まで拘留。このバス労働者の実力行使をきっかけとし、一連のスト発生。アフマディネジャード大統領就任。イラン、ウラン濃縮を再開し、西欧諸国との緊張高まる。

2006年:増加する臨時契約労働者の最低賃金、産休、解雇手当、最長労働時間など、あらゆる法的権利が剥奪される。

2007−2008年:臨時契約労働または無契約の労働が、労働人口の9割にまで広がっていると推計される。マンスール・オサンルーを含め、さらに多数の労組指導者が投獄される。西欧諸国との緊張は継続。
▲ ページトップへ
 
 
INDEX
組合アライアンス、ただいま参上
新たな連帯の形
やりがいのある組合の仕事
トルコ海事従業員連帯組合(DAD-DER)設立
立ち上がるイランの労働者
抵抗を続ける労働組合
HIV-エイズ
中米労組の意識啓発活動
解説
ILO漁業労働条約
説得の力
インド港湾の組織化
地球温暖化
労働組合の課題
一般
ニュース
論説:中国に目を向ける労働組合運動
私の課題:ヒラリー・ホスキング
読者の声:アフリカ南部の女性鉄道労働者
勤労生活:アフガニスタンのトラック運転手
 
mail@itftokyo.org Copyright (C) 2004 International Transport Workers' Federation TOKYO All Rights Reserved.