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グローバルユニオン

2006年7〜9月 第24号
■陽気な革命家
 
陽気な革命家

頑固者で率直、かつ急進的として知られるランドル・ハワードは、ITF世界大会のホスト組合、SATAWUの書記長職をユーモアと独特の魅力で切り回している。ロニー・マンバによるランドル・ハワードの紹介。

ランドル・ハワードはよく笑う。どんな事にも愉快な面を見出すことができる性分だ。自嘲する癖のせいか、いかつい外見だがソフトに見える。南アフリカ運輸合同労組(SATAWU)のような歴史の浅い組合にとって無くてはならない資質と言えよう。運輸一般労組(T&G)と南アフリカ鉄道港湾労組(Sarhwu)の合併によりSATAWUが誕生したのは、今からわずか5年前だ。
明らかに異質の文化をもった二つの組織の合併だった。余程慎重に事を運ばなければ、緊張に一気に火がついただろう。
ハワードは持ち前の根性と粘り強さでSATAWUを切り回してきたと誰もが思っている。一方、人間関係や政治に対するハワードの型破りなアプローチを斬新と見る者も多い。南アフリカのような国では、たった一度の不注意な発言が組織内紛につながることすらある。率直で、直接的だが、ハワードは組合内部の人間関係の調和をうまく保っている。
出身はケープフラッツのボンテヘイウェルだ。ケープフラッツは、当時、ケープタウンの中でも悪名高かった地域で、ハワードの急進的な政治的立場の大部分は幼少期の強烈なアパルトヘイト体験によって形成された。
8歳の時に、ハワードは両親に連れられ、環境 麻薬、暴力団、社会的隔絶に満ち溢れたボンテヘイウェルのひどい環境から抜け出したが、アパルトヘイトの現実から完全に逃れることなどできなかった。ハワードは「カラード(白人と黒人等との混血)」に分類され、社会的な序列では底辺に位置することに変わりはなかったからだ。
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裸足とサボり

経済的には苦しかったが、ハワードの両親は中流下層階級が多く住むグリーンヘブン地区に移住し、両親ともに移住前と同じ職を得ることができた。父は船員で、母は地域の衣料工場で働いていた。
学校まで裸足で延々と歩いていくことを屈辱的と考えたハワードは、よく学校をサボったと言い、その頃のことを思い出して笑う。
「体罰が厳しかったが、勉強の面では学校に特に問題はなかった」とハワードは言う。しかし、ハワードが解放区を見出したのは、スポーツに出会ってからだ。
「子供の頃から競争心が強かったが、今でもそれは変わらない。当時の自分にとって、サッカーや陸上競技はとても大切なものだった。スポーツを通じて、私の名は地域で知られるようになった。サッカーを通じて初めて人種の壁を乗り越えることができた。そうして初めて、同じ通りに住むインド人とも仲良くできるようになった。インド人のサッカーチームでプレーしたことすらある」
他ならならぬ強豪チーム、ムーンライタークラブ(プレミアリーグの7ディビジョン下)のスターストライカーだったハワードは、自然と女性の注目の的になった。近所を誇らしげに闊歩し、生来の男性的魅力を振りまいたことがあだとなり、20歳にしてガールフレンドが妊娠するというトラブルに遭遇した。二人は結婚したが、結婚生活は続かなかった。
商店やレストランでのアルバイトを転々とした後、コンテナデポで初めて「本格的な」仕事に就いた。そして、「革命家」へと変身した。
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サッカーから職場代表へ

「入社するとすぐ、運輸一般労組へ加入しないかという積極的な働きかけがあった。労働者はアイルランド人マネージャーの弱い者いじめと人種差別主義に悩まされていた」
ハワードはすぐ組合に加入した。地域のサッカー選手として既に有名だったため、たちまち職場代表に選出された。数ヵ月後には職場代表委員会の委員長になった。
「職場代表委員会が会議を招集して会社に組合を正式に承認するよう要求すると、マネージャーは激怒し、テーブルを投げ合う激しい口論になった。マネージャーは、目と鼻の先で行われていた我々の活動に気づかなかったことにショックを隠せないようだった」と当時を思い出してハワードは言う。
「しかし、作業停止を何回かやった後、最終的にマネージャーも我々に同調して労働者に謝罪し、組合を正式に承認した。組合にとって、これは大勝利だった」
「これは私にとっては人生を変える経験だった。同時に、今振り返って初めて言えることだが、若さゆえに、ひどく混乱もしていた。私はこの闘いを自分と上司であるマネージャーの個人的な闘いと捉えてしまい、このマネージャーを『懲らしめよう』と不用意なまでに躍起になったが、これは決して自分のためにならなかった」
会社はハゲタカのようにこの生意気な活動家に襲いかかった。彼は彼で、自分の行動を誰にも説明する必要はないと決め込んでいた。最終的に彼は解雇されたが、その際、会社は非常に包括的な書類を提出してきた。書類には失敗はしたくないという会社の姿勢が如実に示されていた。労働者は抗議し、彼は不服を訴えたが、即座に退けられた。
この出来事は2つの光明をもたらした。第一に、仲間の労働者から支持を得たことにより、前進して行く自信が沸いた。第二に、より重要なことだが、この事件を通じ、南アフリカ・コンテナデポの外へと視点を広げていく道が開けたのだ。
ハワードと経営のこの闘争は広く知られるようになり、ハワードの知名度はさらに上がった。南アフリカ・コンテナデポを後にした時には、勇敢さとエネルギーに満ち溢れ、幹部として組合運動を推進するに相応しい人物と見なされるようになっていた。オルガナイザーを暫く務めた後、運輸一般労組の全国書記次長に選出された。
口の悪い反抗的な若者から、多くの人々が尊敬し、国中がその意見を知りたいと考える偉大な労働組合指導者へとハワードはどうやって変身を遂げたのだろうか?
「以前よりは知恵がついてきたよ。チームプレーをすることや、人に仕事を任せることを覚えた。組合に育ててもらったようなものだから、組合には恩がある」
ハワードはまた、ITFを通じて国際労働運動に触れる機会が増えたことも、自分の成長に結びついていると感じている。
「旧運輸一般労組と旧南アフリカ鉄道港湾労組は、アパルトヘイトの時代にITFの連帯調整活動により何度も助けられてきた。過去の経験から、現実的な連帯行動という意味でも、また組合員の士気を高める上でも、それがどれほど重要なことかよく分かっている。だからこそ、2006年のITF世界大会のホスト組合を務めることをますます誇りに思っている。今度はこちらがお返しをする番だ。南アフリカの労働運動の力強さなど、これまでの長い闘いの末、我々が獲得した成果や南アフリカの文化を世界と共有する時が来た」
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ロニー・マンバはSATAWU(ヨハネスブルク)の広報担当部長
ランドル・ハワード:グローバル化について思うこと

グローバル化は常に存在していて、植民地主義や帝国主義、資本主義という形で頂点に達してきた。
したがって、グローバル化の状況下では、各国間、あるいは各ブロック間が政治的、経済的、社会的な関係をもつことに反対することはできない。現行のグローバル化の大きな問題は、貿易の規則や関心事項が先進国に有利な偏ったものになっていることだ。
農業市場についての世界貿易機関(WTO)の議論では、2ラウンドかけても合意に至ることができなかった。これは、欧州各国が自国の農業従事者に対する助成金を維持しようとする一方で、途上国には市場を開放しろという不当な要求をつきつけているからだ。
貧困の悪化、栄養不足、食糧安全保障の欠如といった状況の中で、アフリカの農業市場を自由化すべきではないことは明白であると私は思う。現在でも、私は南ア政府や途上国ブロックの方針には基本的に反対だ。農業はアフリカ人が生きていく上で基本となる産業であるのに、どうして農業の自由化など提案できるのだろうか?アフリカ人の大部分が貧困にあえぎ、職もなく、餓死する者すらいるというのに。
何らかの歩み寄りは必要であることは分かるが、余るほど物を持っている人々をただ満足させるためだけに、食料のような生活必需品を譲るべきではない。国際社会は、WTO、世界銀行、国際通貨基金(IMF)が世界の貧困国や低開発国に有利な政策を策定し、連帯の精神を基礎として世界貿易を考えるようになるよう、これらの組織のパラダイムシフトに優先的に取り組むべきだ。
これらの組織が自己変革できないなら、現在の幹部は退任すべきだ。代わりに、貧困、疾病、低開発、失業の問題を解決する上で、公正性、連帯、社会正義の価値を理解することができる、進歩的かつ多数の意見を反映できる幹部に刷新すべきだ。
これまでも、また現在においても、ブレトンウッズ体制の責任は大きい。同体制ゆえに、途上国政府は度重なる債務と本質的な貧困にはまり込まざるを得なくなった。アフリカ各国の政府もまた、ブレトンウッズ体制の新自由主義を完全に受け入れ、国民の利益にならない政策決定をしたことの責任をある程度は取らなければならない。さらに心配なのは、一部の政府高官が国民の要求に応えるのではなく、自分や仲間の私服を肥やしている事実である。
アフリカ連合(AU)の設立や、南ア政府がアフリカ大陸全体の平和と民主化を推進する上で積極的な役割を果たしていることは、前向きな進展ということができる。政治的な安定がなければ、経済発展は依然として獲得できず、貧困や疾病を排除することはできない。
前述の世界貿易のパラダイムシフトを達成する上で、途上国の戦略的アライアンスが今後も重要となるだろう。南アフリカがブラジル、インド、ベネズエラと結んでいる二国間協定は、欧州連合やアメリカ大陸との力の関係を変化させていく上で、非常に戦略的である。新たな世界経済秩序を築くための闘いはまだまだ続いている!
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