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2006年7〜9月 第24号
■“アフリカの交通運輸労働者に自由を!”を実現させたい
 
“アフリカの交通運輸労働者に自由を!”を実現させたい

ITFアフリカ地域部次長に任命されたジョセフ・カテンデ。自身の組合運動の歴史と、アフリカの労働運動に大きな期待を寄せる理由を語る。

労働運動に携わるきっかけ

1976年の夏、私がまだ17歳の学生で、自動車整備士の訓練をちょうど終えた頃、国営バス会社で仕事をもらった。この時に、賃金について疑問を持ったのが労働運動に携わるきっかけとなった。
整備士の最低賃金は決まっているのに、それを下回る賃金しかもらっていなかったのだ。そこで私は賃上げを要求するために、他の従業員を動員した。休憩時間に皆で人事部長に会いに行くことを決めた。しかし結局、他の人は皆、逃げてしまい、私一人で会いに行くことになった。
人事部長にも整備主任にも面会を断られ、社長に直訴することに決めた。最終的に社長との面会を許可され、自らの主張を訴えた。すると、一週間後に社長から電話があり、こう言われた。「この賃金表は全員には適用させたくない。君は一人で来たのだから、君だけに適用させよう」
次の給料袋はとても分厚くなっていた。
「いったいあいつはどうやってあんなにたくさんの給料をもらったんだ?」と皆が噂していたが、私はただ笑い飛ばし、その場を立ち去って行った。ある日、一人の男が私の所に駆け寄って来て、こう尋ねた。「何をしたら、あんなにたくさんの給料をもらえるんだ?」
私はこう答えた。「皆で一緒に抗議しよう、一緒に闘おうと言ったじゃないか。自分で闘いを放棄したんだから仕方ないさ」すると彼らは、なんと私を職場代表にするという戦略に出たのだ!
私は職場代表に選出されるとすぐに職場代表主任の所に行き、この問題を労使交渉にかけるように提案した。これが全ての始まりだった。
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労働者を守るための真の自由

学校を卒業した後、同じ会社に戻り、結局そこで14年間、働いた。会社の中で昇進を重ねると同時に、組合の中でも重要な職を任されるようになっていった。
1990年、私は西ウガンダ地域のバス・マネージャーに任命されたが、当時、組合の財務部長にも選出されていた。会社からは組合を辞めるように言われたが、「組合は辞めない」と断言した。ウガンダのナショナルセンターから労働裁判所の労働者代表の依頼が来たのもこの頃だった。
当時私は組合に不安を感じていた。組合の力が著しく衰退していたからだ。書記長が辞め、書記長代行の影響力はそれほど強くなかった。執行部は私に書記長選への出馬を打診してきた。
当時、会社からもらっていた給料は高かった。一方、書記長の給料は微々たるものだった。しかし私は書記長選に立候補することを決めた。書記長になれば、思う存分、労働者を守ることができると血が騒いだからだ。
家族は私を変人扱いした。アフリカでは、高給職は自分ひとりのものではない。親戚中が私の所にやって来て、「正気か?」と尋ねた。しかし、最終的には私の選択を支持してくれた。
相次ぐリストラで、組合の組織人員数は過去6ヵ月間で2,400人から600人に激減していた。事態は非常に深刻だった。私は書記長に選ばれるとすぐ、新しい戦略を練り、フルタイムのオルガナイザーを採用した。私自身も自家用車でオルグに奔走した。組合の状況はそれほど深刻だったのだ。
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急を要する組合員の獲得

ウガンダ運輸会社(UTC)、国民運輸会社(PTC)、ウガンダ航空(UA)、これら全ての国営企業は事業再編の一環として、人員削減を進めていた。これらの企業の再編策は企業自体を死に追いやるものだった。UTC、PTC、UAのいずれもが、もはや存在していない。
私が勤めていたバス会社の仕事も民間の複数の小規模企業に引き継がれたが、その多くが政府高官の所有企業で、中には交通運輸に関して素人同然のものもあった。
厳しい日々が続いた。オルグに加えて、解雇された組合員の解雇手当獲得という難題も抱えていた。この時、私がやったのは、交通運輸関係の仕事を彼らのために探し出し、採用が決まると、新しい職場まで出かけていき、組合復帰を説得したことだ。
「ハートを失うな。いっしょに闘おう!」とよく訴えたものだ。警備員やインフォーマル(非正規)労働者の組織化にも力を入れた。
国営企業の再編が進む中で、ケータリング、グランドハンドリングなどの重要な事業が外注化されていった。組合員は取り戻したが、闘いは困難を極めた。
1993年、初の団体協約交渉を開始した。 使用者側の抵抗にあい、3年の月日を費やしたが、ついに96年、初の団体協約締結にこぎつけた。この頃には組合人数も約1,600人にまで回復していた。
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教育、国際、そしてITF

1997年、英国大使からウガンダの労働状況を説明するように依頼された。一通りの説明を終えると、大使は私に出身大学を尋ねた。大学には行ったことがないと答えると、「一体どこでこんなにたくさんのことを学んだのか?」と聞かれた。
私は「組合の研修を熱心に受講した」と答えた。実は、私が受けた研修のほとんどがITFのものだった。私がITFと知り合ったのは1978年のことだ。ITFとフリードリッヒ・エーベルト財団(FES)がカンパラで開催した、職場代表の役割と機能に関するセミナーに参加した時のことだ。
それまで私はITFのように強力な国際労働組織が存在することを知らなかった。それ以来、ITFとは頻繁に連絡を取るようになり、何年間も、いろいろな相談に乗ってもらっている。
その後、英国大使館からオックスフォード大学ラスキン・カレッジの奨学生に推薦してくれるという話をもらった。組合も留学休暇を許可してくれたので、97〜98年を英国で過ごすことになった。私が留守の間は、書記長代行が立派に職務を全うしてくれた。
卒業まで後2ヵ月という時に、英国大使館から再度連絡があり、英国政府のチーブニング奨学生に特別選考されたので、ウォリック大学労使関係修士課程で学ばないかという話をもらった。
ウガンダに戻った時、書記長の仕事はまだ私に残されていたので、書記長の仕事を再開した。しかし2000年になると、国際自由労連(ICFTU)からアフリカ南部の組合の能力開発の仕事にすぐにも就いて欲しいとの依頼があった。
ICFTUの仕事も終わりに近付いた頃、ILOが米国労働省の後援で、ソーシャルパートナーの能力開発プロジェクトのコーディネーターを募集していることを知り、応募、採用された。ILOに勤務している間もITFや組合と(役員として)連絡を取り続けた。
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アフリカのビジョン

このたび、ITFアフリカ地域部次長に任命された。アフリカ労組の潜在能力がフル活用されるように全力を尽くしたいと考えている。全てのITF加盟組織の顔が見えるようにしたい。ITF加盟組織の組合員なら、誰もが顔を知っているような状況をつくりたい。このような状況は、組合が人々の生活向上に影響力を行使できるようになって初めて実現可能となる。
アフリカの組合にはITFファミリーの主要メンバーになってほしい。経済的にも持続可能なレベルに発展してほしい。組合員のために金を使う組合になってほしい。
民主主義なくして強い組合は存在し得えないし、組合内部の平和も維持できない。だから私は組織化、教育、国際連帯と共に民主主義の構築を重視していきたい。
また、世界中の問題にアフリカの支援を差し伸べたい。例えば、カラカスの労働者には、アフリカの労働者も彼らに注目していることを知ってもらいたい。ITFファミリーの絆を感じたいのだ。
私の「アニキ」、ロキシー・ウドグ(ITFアフリカ地域部長)は、アフリカのために多大な貢献をしてきた。次長なしで、アフリカにITFを築き上げた。彼のやってきたことを継続し、“アフリカの交通運輸労働者に自由を”という彼の夢を実現させるためにも、私に何ができるのかを考えていきたい。
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ダーバン世界大会−組織化という挑戦−

「グローバルな組織化へ」というテーマの下で、初めてアフリカの地で開催されるダーバン大会には、最も困難な分野での組織化を通じて国際連帯を構築することに焦点をあててほしい。今日のアフリカでは、組織化は非常に難しい。もう何年もの間、民主化が遠のいているからだ。各国は民主化努力を続けているが、なかなかうまくいかない。組合も労働者に声を上げてもらおうと奮闘しているが、苦戦している。
多くの政府が労働組合は経済を硬直させる存在だと考えている。多くの国が、ルールを棚上げし、実施しないという、間接的な規制緩和を行っている。組合を結成しようとして解雇される労働者も依然として後を絶たない。ダーバン大会では、これらの組織化の課題を、まずはアフリカから考えていきたい。
団結権と団体交渉権という基本的な権利を確保するためには国際連帯が必要だ。
国際連帯こそ、真の民主化を呼び起こす。職場の民主化抜きに民主化を語ることはできない。職場こそ労働者が最も活動的な時間を過ごす場所だからだ。職場を民主化できなければ、国を民主化することなどできない。
これはとてつもなく大きなビジョンだ。しかし、共に闘えば達成できる。ITF加盟組合はそのために何をすべきかを考えるはずだ。
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聞き手はケイ・パリス
 
 
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