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No.27/2013 |
■女性船員 |
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私にもできる
一等航海士を経験したアルゼンチン船舶職員組合(CCUOMM)労務部長のジュリア・リリアナ・ベセラ(32歳)が、船員のキャリアについて語る。
家族に船員はいなかった
10代の頃から船員という職業に関心を抱いていた。どうしたら船員になれるのか分からなかったが、軍にだけは入りたくなかった。両親や親友にも相談したが、だれも商船に乗り組む方法を知らなかった。
勧められなかった船員への道
父の同僚の元船員に出会う機会に恵まれた。アルゼンチンの大手海運会社、ELMAの甲板員だった彼は、船員の魅力を語ってくれたが、今の状況を考えると、特に女性は希望がないと言われた。1998年当時、政府は新自由主義政策の下に、自国籍船隊を解体、カボタージュをFOCに開放し、アルゼンチン人船員のための団体協約や法律も無視していた。2000年、ついに、国立マニュエル・ベルグラノ海事学校(MBNNS)で、甲板部員として、船員のスタートを切った。卒業まで家族が経済的に支えてくれたが、CCUOMMの奨学金が非常に役立った。
初航海はひどい悪天候だった
初航海は海事学校時代の体験乗船で、日本製ケミカルタンカー「リオ・ギャレゴス1号」に乗船した。よく保守されていたが、古くて小さな船だった。積み込みや積み下ろしは完全な手作業で、悪天候時には特に厳しい作業となった。極寒のリオ・ガイェゴスやウシュアイアでの係留・出港作業は困難を極めた。その後、他の船に乗り、様々な港を訪れたが、初航海の時のことは、まるで昨日のことのように覚えている。船内では、チームとして働くことの大切さを学んだ。
終身雇用契約に守られる
私が乗り組んでいたのは、カボタージュが適用される内航定期航路で、プエルト・ラ・プラタからリオ・ガイェゴスやウシュアイア等の南部の港まで、炭化水素留分を輸送した。乗組員は全員、終身雇用で、アルゼンチンの法律や団体協約に守られていた。
差別・偏見を乗り越えるには、一生懸命働き、同僚に心を開くこと
終身雇用契約で採用された女性は私が初めてだったので、最初にして最大の課題は、他の乗組員に受け入れてもらうことだった。すぐに、船内の仕事や生活に慣れ、快適さを感じるようになった。船員の仕事は、男性にとっても、女性にとっても、厳しくもあり、楽しくもある。女性船員は、職場でも、あるいは家庭や友人とのつきあいにおいても、偏見などの障害を克服していかなければならない。しかし、それは不可能なことではない。CCUOMMは長年、女性組合員に多大な支援を差し伸べてきた。
女性船員にはより一層の努力が求められる
組合のおかげで、会社は女性船員に対する差別を禁じている。しかし、古い慣習を破るのが難しいこともある。初航海の時、他の乗組員から「孤立感や仕事に耐えるだけの力がないから、結局は、船員のキャリアをあきらめ、家庭に入ることになるだろう」と言われた。また、「これは男の仕事だから」と一蹴され、一部の仕事をやらせてもらえなかったりもした。これらの発言に落胆したこともあったが、自分の目標をあきらめることはなかった。最初は、他の乗組員から信頼されていないと感じることもしばしばあった。ある日、錨をあげる作業に四苦八苦していた時、一部の乗組員から、船首のポジションから外れるよう、強く勧められた。私は、続けさせてくれと強く主張し、キャプテンの了解を得た。その後、数時間の格闘の末、ついに、錨をあげることに成功した。この日以来、多くの変化が訪れた。特に、同僚との関係は大きく改善した。
組合員であることは、クルーの一員であることと同じ
組合活動もチームワーク。ただ、規模が大きいだけだ。組合員であるということは、ジェンダーの問題や、女性船員に対する男性の意識啓発等、あらゆる問題について、改善を要求できることを意味する。私の組合、CCUOMMが、アルゼンチン人船員のために、法律の整備、雇用の確保、団体協約の締結、基準の維持等について、決定的な役割を果たしていることを誇りに思っている。 |
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